1.年月日  1996年12月28日(土)夜〜1997年1月1日(水)
2.山域山名 北アルプス・槍ヶ岳・北鎌尾根
3.メンバー 川崎ヨチヨチ山岳会・CL竹内、SL若原(記)、中島
4.コースタイム
  12/28  新宿18:30−22:18信濃大町駅(泊)
  12/29   4:30起床
      信濃大町5:35−6:05七倉6:15−7:25高瀬ダム−8:50湖畔道終点−
      避難小屋−10:40湯俣−13:50千天出合−14:30P2側稜基部(泊)
       15:10テント設営終了−19:30就寝
  12/30  4:00起床
       P2側稜基部6:00−7:10尾根の背−7:40P2−10:20P5−
       11:00北鎌ノコル−13:30独標の基部
       15:00テント設営終了−19:30就寝
  12/31  4:30起床
       独標の基部7:00−8:40独標−12:00北鎌平−13:40槍ヶ岳−
      槍ヶ岳山荘14:40−15:30大喰岳・西尾根基部−16:00幕営地
       16:40テント設営終了−20:00就寝
  1/1    4:30起床
       幕営地7:00−7:20槍平小屋−8:50白出小屋−9:30穂高牧場−
      10:10新穂高11:30−高山15:03−名古屋−東京

5.費用
   食糧費   8,200円
   燃料費   1,400円     EPIガス ロング缶2本/3泊
   合計    9,600円     3泊×3人=9人泊  1,067円/人泊
  交通費
    ( 1) JR普通乗車券(横浜市内〜信濃大町)     4,840円
    ( 2) JR特急券(新宿〜信濃大町)        2,270円
    ( 3) 中型タクシー(信濃大町駅〜七倉)     6,000円
    ( 4) バス(新穂高〜高山駅)          2,070円
    ( 5) JR普通乗車券(高山〜東京)        8,340円
    ( 6) JR特急券(高山〜名古屋,乗継)      1,030円
    ( 7) JR特急券(名古屋〜東京)         3,910円

6.報告

1996年12月28日(土) 晴れ(横浜)
  夜行による疲れを避けるために、信濃大町の駅で仮眠することにして、18:30
 新宿発の臨時特急あずさで出発する。 帰省客による混雑を考慮して、1時間前
 に並んだがこの時点では利用者は1人もいなかった。 入線時刻になっても1車
 輌に20名程度の列であり、1人で2座席を占めて楽に行くことができた。 松本
 から快速になるこの電車は大糸線の遅れの影響を受けて信濃大町駅着が若干遅
 れた。 駅では既に、10人程度の登山者が仮眠の準備をしていた。 我々も寝
 る場所を確保して、差し入れのブランデーケーキで気持ち良く眠りにつく。

1996年12月29日(日) 晴れ
  4:00頃から起きだしている登山者がおり、枕元近くの空缶入れに缶を落とす
 音で目覚めた。 起きてみると25名程度の仮眠者がいた。
  5:00頃に待合室が開けられストーブに火が入ったので、そちらに移動して朝
 食を摂りながら、準備しているとタクシーの運転手が話し掛けてくる。12月28
 日の午前中は七倉で5cm程度の新雪があり、午後は晴れた。 タクシーは七倉
 までしか入らないことがわかった。 5:00以前は割り増し料金になり、且つ早
 く着き過ぎても暗くて歩けないので、5:30出発とする。

  隣にいた群馬県・山岳同人の2人パーティーが同乗を誘ってきたので一緒に
 入ることにする。 予約していた筈のタクシーが来ないので別のタクシーを使
 って入山する。 七倉手前の坂道で乗用車が止っていて、「白馬は未だ先です
 か?」ととぼけた質問をしてくる。 七倉のトンネル手前で車止めがされてい
 る。 ここで登山計画書を提出すると、鹿島槍ヶ岳の写真のカードに日付印を
 押して記念にくれる。 無線のコールサイン記載していないパーティーにはコ
 ールサインを確認している。 ここで、千天出合い手前、P2側稜付近の吊り
 橋が完全になくなっていて最悪の場合徒渉になる旨の情報を得る。

  歩き出しは橋を渡り、1Km程度のトンネルから始まる。 ロックフィル式の
 高瀬ダムの背面を一気に上迄登り切る。 少し行ったトンネルの中が暖かいの
 で、トンネルの中で1本立てる。 ここで荷物の重量調整をする。 ここから
 は湖畔を通っている林道を歩く。 登山道へ入る手前で1本立てる。 2人の熟
 年パーティーが休んでおり、古いザック(カリマーのドガールハストン・アル
 ピニスト…私も持っている)を背負っていた。 ビバークに使えるように内袋
 を長くできるようになっている懐かしいザックである。

  途中の避難小屋には宿泊した跡があった。 ここは水も取れるので宿泊する
 には良いかもしれない。 途中には架け替えた新しい橋も多かった。 河原を
 歩くようになり湯俣に近付いてきていることがわかる。 湯俣山荘は通年閉め
 ているようだ。 対岸の晴嵐荘へ渡る橋は流された後、架け替えられたようで
 ある。 取水口付近で数人休んでいるが我々はそのまま通過して水俣川に架か
 る吊り橋を渡り終えた地点から河原沿いに進む。

  千天出合い手前の吊り橋跡迄は左岸を行く。 左岸のへつり、氷柱くぐり、
 高巻き、笹・残置ロープ・ワイヤを使ってのトラバース等々変化に富んだ道で
 ある。 1人がへつりに失敗して腰まで水に浸かった。 幸いなことにオーバ
 ズボン、スパッツをつけていたために濡れは少なくてすんだ。 濡れたものを
 絞り、出発する。 なるべくアイゼンを着けたくなかったが、悪い高巻きにな
 ったので渋々着けることにする。 他のパーティーはかなり前から装着してい
 る。(教訓)アイゼンは早目に装着しよう。

  バテ始めた頃、千天出合い手前の吊り橋跡が見え始める。 先行パーティー
 は2ヶ所で渡っているようである。 先行パーティーのアドバイスにより下流
 地点を渡る。 流れの飛沫が凍って良いスタンスが出来ており、流木を使って
 濡れないで渡れた。 上流側の地点を渡っていた熟年パーティーの1人は流れ
 に落ちて全身びしょ濡れになったようだ。

  この先は夏道から離れて微妙なバランスを求めるルートが拓かれていた。 
 「こんなところにトレースを付けたのは誰だ」とぼやきたくなる。 体重をか
 けると確実に切れそうな糸のような残置スリングでバランスを取ってトラバー
 スする。 落ちると、水俣川で水泳が楽しめる恐怖のルートである。 千天出
 合いの岩小舎はまだ残っていたがP2側稜基部を目指す。 この岩小舎では春
 2回、冬1回泊ったことがあり、比較的快適な岩小舎である。

  天上沢の右岸を暫く辿るとはっきりしたP2側稜が見えてくる。 先行した
 2パーティーが幕場の整備をしている。 ここは、容易に転石伝たいに濡れな
 いで渡れた。 頑張って尾根の背まで上がることも考えられるが、バテ始めて
 いるのと水が取れるのを考慮してここで幕営することにする。 最終的には、
 単独行者も含めて6パーティーがここで幕営した。 谷あいなので電波の状態
 が悪いが、天気図を取り、WWWで入手した1週間の気圧配置予測を参考に予測す
 る。 1月1日の後半あたりから天候は崩れそうである。 それまでに槍ヶ岳を
 越えておきたいと話し合う。 夕食は、差し入れの「カニ缶付き海藻サラダ」
 で豪華な物になる。 満天の星と冴え渡っている月の明かりが谷あいを明るく
 しており穏やかな夜である。
  気象情報のURLは、www.ibcweb.co.jp/weatherである。

1996年12月30日(月) 晴れ
  今日は一気に高度を稼ぐ日であるので6:15頃に出発できれば…と考えていた
 が、1パーティーが5:30頃に出発したので我々もヘッドランプを点けて6:00に
 出発する。

  P2側稜は樹林帯の登りから始まるが20〜30分登ったところから小岩壁にな
 り凍った岩場や急傾斜の疎林帯を越えながら、滑落すると数100m落ちてしまう
 なァとか、このくらいのパーティー数なら1〜2名落ちてもおかしくないなァ等
 と考えながら登り、傾斜が落ちてきた地点で1本立てる。 ここからは10分弱
 で尾根の背に出た。 尾根の背では3パーティーが幕営していたが、テントを
 たたんでいる最中だった。 知り合いの独標登高会も5〜6人で入山している。
  途中で先行していたパーティーを追い抜いて行く。

  P2を越えて暫く行くとザイルを使って下降してくる5〜6人パーティーに出
 合う。 話してみると、1人が肺炎気味なので撤退するとのことだった。 P3
 迄にも幕営跡が2ヶ所あった。 P3は急な雪壁を登り、P5は天上沢側を巻く
 が、途中、支尾根を越えて大きくトラバースすることになる。 気温が高く風
 を受けない天上沢側に入ると雪が腐り始めてくる。 P6、P7の下りは同様
 に雪が腐り始めており、少し悪い。 急な下りで北鎌ノコルに着く。 ここに
 は幕営跡があった。

  北鎌ノコルからは急登である。 振返ると湯俣の調整池の青さと湯俣の河原の
 白さが際立って見える。 数ヶ所の幕営適地を過ぎると天狗の腰掛であるがこの
 手前でザイルを使用しているパーティーがいたので先に行せてもらう。
  独標の基部から急斜面を経るルートを拓いている6人パーティーがいたので話
 しをすると、彼等は我々より1日前に入山していた。 彼等が一番先頭のパーテ
 ィーであり、前にはトレースが見当たらない。 遂に、トップ追いついた。

  独標は次の5本のルートが考えられる。
  (1)基部から千丈沢側を大きく巻く、 (2)基部からルンゼを直上する、(こ
 こには、取付きから残置ハーケンが見える)、(3)基部からルンゼを途中まで直
 上し左寄りのルンゼを左稜線目指して登る、(4)基部からルンゼ手前のリッジを
 目指して急傾斜の露岩帯を右上〜直上する、(5)基部手前の岩の間を天上沢側に
 出て(ここには残置ハーケンが2本ある)、クーロアールの雪壁を登る。途中の
 潅木でランニングビレーが取れる。

  先行パーティーは(5)のルートを諦めて(4)のルートを登っていた。 我々は
 独標が見え始めてから(5)のルートに可能性を見出していた。 雪がもう少し締
 まれば(5)のルートの難易度が低くなると見ていた。 これから登ると、時間切
 れになる可能性があるので、幕営することにして場所を捜す。 天上沢側にヒ
 ナ段を切って幕場を作るが千丈沢側からの風を防ぐ為に天幕がスッポリ入る位
 に掘り下げる。

  フライシートは煽られるので今夜は本体のみとする。 掘り下げてみてわか
 ったことだが、この辺りの積雪であれば雪洞が掘れたかもしれない。 天上沢
 側にブロックを積み、北側だけを少し開けた形の幕場ができた。 今夜も満天
 の星と月明かりで明るい夜である。 但し、風があり天幕本体だけでは寒かっ
 た。 今日は私の誕生日なのでホットプリンを作り皆で祝ってくれた。 我々
 のすぐ上に張ったパーティーは我々より2日前に入山しているとのことでかな
 り苦労しているようだ。

1996年12月31日(火) 晴れ
  明日の午後当たりから天候が崩れると予測しているので、今日が勝負の日で
 ある。 今日中に槍ヶ岳を越えておきたい。 年末年始の北鎌パーティーのト
 ップに追いついてしまったので、これから先はスピードが落ちることが予想さ
 れる。 今日は遅くなったとしても行動して槍ヶ岳を越えておきたい。
  独標はヘッドランプをつけて登るのは難しいと考えて、7:00頃の出発を予定
 して天幕をたたんでいたら、後続のパーティーが追いついてきた。 彼等も天
 上沢側のクーロアールの雪壁を登る様なので先に譲り、残置ハーケン、潅木で
 のランニングビレーなどをアドバイスする。

  我々は、急傾斜の露岩帯を登ることにして、潅木とスノーバーに支点を取り、
 竹内がトップでザイルを伸ばす。 40m程伸ばしたので、中島をミッテルにして
 若原はコンティニュアスでついていくことにする。 つるべでトップを交代して
 雪稜を登る。 3ピッチ登った所でザイルを解いて登り独標に立つ。 独標の頭
 には、ブロックが積まれており、先行パーティーは独標の頭で幕営したようで
 ある。 すぐ先のピークを登っている先行パーティーが見える。

  独標の頭に立つと天を突き刺すような槍ヶ岳の姿が見え始める。 写真を撮
 り、先行パーティーを追いかける。 2〜3のピークを越えた当たりでザイルを
 出して登っている先行パーティーに追いつく。 私は左に回り込んで雪壁を登
 った。 この雪壁は腐り始めており、先着5名様限定コースと言った感じで、
 スタンスが甘い状態になっている。 竹内、中島はスタカットで直上するルー
 トを採った。 後続の会パーティーは右にトラバースして回り込みリッジを登
 るルートを採った。 このルートには残置ハーケンがあり少し易しいようだ。

  この当たりから我々を含む3パーティーが相前後しながら進む。 北鎌平の
 2〜3個手前のピークは登ったものの稜線通しにはルートが取れずクロアールを
 下り、大きく巻くことになった。 ここのトラバースは雪の状態が悪いために
 難しかった。 北鎌平から槍の穂先への登りはまず、天上沢側の雪壁をラッセ
 ルしながら登り、穂先への基部に立つ。

  ここ迄先行したパーティーに敬意を表してトップを譲るがザイルを出してい
 るので、左側を他のパーティー続いて登り、先行した。 見上げる槍の穂先は
 雲の流れが激しく主稜線の風の強さを物語っていたが、穂先に立った頃には風
 も止んでいた。 穂先へは雪の状態が悪くヒヤヒヤした箇所もあったが結局、
 ザイルは出さずじまいだった。 後からくるパーティーはほとんどザイルを出
 していた。 ザイルを使うのが正解である。 結局、今季の北鎌、第二登にな
 った。 (教訓)難易度の感覚が麻痺してくるが、穂先ではザイルを使用する
 こと。

  穂先は新穂高側からの登山者でにぎわっていた。 少し休んで下山にかかっ
 た。 新穂高側からの登山者は空身であるにも関わらずザイルを出してヘッピ
 リ腰で下っている。 北鎌からきたザック姿の登山者の方がよっぽど安定した
 姿勢で下っている。 新雪が少ないために穂先には雪が少なかった。

  気温が低く、雪庇がなく、新雪がなければ槍沢を下るつもりだったが、トレ
 ースもなく気温が高いので肩の小屋のそばで小休止した後、大喰岳・西尾根を
 目指す。 飛騨乗越で夏道を下っているトレースと登山者を見かけたので、検
 討した結果、飛騨側の雪は締まっており、気温が低くなり始めているので大喰
 岳・西尾根寄りのトレースを下ることにする。

  少し降りると100人単位の人間が歩いたトレースがある。 バテバテで西尾
 根末端の宝の木に辿り着く。 この少し上当たりへ千丈乗越から来ているトレ
 ースがあった。 雪崩が恐いルートである。 ここで1本立てて更に下る。
 この下あたりでもデブリが押し出してきており幕営している人の気持ちが知れ
 ない。 雪崩の危険がないと思われる所まで下り幕営跡を整理して天幕を張る。
  後はのんびり歩いて下れる位置にいるので皆、気が緩み饒舌になる。 今夜
 も満天の星と月明かりで明るい夜である。 緊張感から解き放たれて頭の中が
 空っぽになり食欲が高まり、明日のことを考えないで高野豆腐の料理に舌鼓を
 打つことができた。

1997年1月1日(水) 曇り
  今朝からは、アイゼンなしで下るため足が軽くなった感じである。 空には
 薄雲が見えはじめた。 20分程下ると槍平小屋に着く。 ここは一大キャンプ
 地になっており20張り程のテントがあった。 中岳、南岳、中崎尾根へのルー
 トを確認しながら歩を進める。 滝谷出合、幾つかのデブリが押し出している
 沢を横切りながら進むと涸沢岳・西尾根の取付きを経て白出小屋に至る。

  白出小屋からは車道を歩き、穂高牧場からは車道をショートカットする近道
 を通ったが所々凍っており、歩きにくかった。 暫く歩くと駐車場に出て舗装、
 除雪された道を歩く。 バスターミナルでバスの時刻表を確認して徒歩0分の
 無料温泉に入る。 高山行きのバスは1.5時間に1本程度の運行である。
  定期バスは登山者の利用が多いために増便される。 バスは平湯を経由し、
 安房トンネルの平湯側を見ながら進む。 沿線のスキー場は数は多いが雪は少
 なめである。 バスの中は暖かく多くの登山者は疲れからか居眠りをしている。

  高山駅に隣接したバスステーションに着く。 電車の時刻を調べて、食事に
 行く。 駅に隣接した交番に「アルピニスト交番」と書かれているので記念写
 真を取る。 高山の地ビール、赤蕪の漬物「めしどろぼう」、銘菓「さわくる
 み」を買って電車に乗り込む。 ざっと見た土産の中では以上3点がお勧め品
 である。 私は飲まなかったが地ビールは濃厚な味だったそうである。

  北鎌尾根は古より登られているルートではあるが、依然として総合的な登山
 技術を要求する第1級のルートであることを再認識させられた。
  15年前の積雪期・北鎌尾根の記憶は余りにも風化しており、美化された
 想い出となっていた。

−以上−

[Copyright (c) 1997 by Youbun Wakahara]